東京農村ブログ

地域と協力! 知られざる世田谷農業の実態[東京農サロンネオ 開催レポート]

奇数月に開催している東京農サロン・ネオ。今回は9月21日に開催され、今回は「農地で勝負する!世田谷農業 ~シェフと連携、切り花…まちなか農家の選択~」というテーマのもと、世田谷区内、約1500㎡(450坪)の畑で季節の野菜、切花、花苗を露地、施設栽培をしている安藤 智一さんと、季節の切花生産を中心に営農を行っている高橋 成司さんの2名から、強烈な住宅需要をうけて面積を年々縮小せざるをえない環境の中、限られた農地でどのように農業経営を行っているのか、お話を伺ってきました。


町の飲食店と協力


安藤さんは、約1500m2の農地で季節の野菜や、切り花を販売しております。

また、町の飲食店と提携し、季節の野菜を使った料理を飲食店で提供しています。

安定供給が必要な大型店舗ではなく、個人が経営する飲食店でメロンを使ったスイーツや枝豆を使ったモンブラン、またトマトの最盛期には余ったトマトを使ってトマトパスタを提供しているそうです。

その際にも、ただ料理を提供するだけではなく、生産して調理するまでのストーリーを伝えて、食べること以外の楽しさをお客さんに与えています。

その点は地元の飲食店と提携するからこその大きな利点となっています。

ベッドタウンである二子玉川や、若者に人気な下北沢があることで有名な世田谷区ですが、その中で農地が景観となり、その景観の維持に携われている喜びを感じていると安藤さんは仰っていました。


野菜より儲かる?切花生産の実態


高橋さんは、今までの農サロンで登壇していただいた生産者さんとは違い、野菜ではなく切花生産をメインに行なっており、ひまわりの切花の審査会で、東京中央農業協同組合 組合長賞を受賞しました。

昔は野菜を生産していたそうです。ただ、売り上げがなかなか伸びなかった頃、直売所の当番をの当番をしていた際に、バケツいっぱいの切り花を持ってきた農家さんがすごい売り上げを記録していた光景を目撃して、切り花生産に切り替えようと決心したそうです。

切花は野菜と違って肥料をあげすぎると大きくなりすぎて、切り花として成立しなくなってしまうため、玉ねぎを生産した後の畑に花の種を植えると、とてもちょうどいいサイズになるため、効率よく生産をすることができるのも切花生産のメリットだと思います。



今回のお話で、野菜の生産だけが農業ではないことを実感することができました。また、野菜だけではなく、新しく切花生産というジャンルを知ることができ、さらに自分自身の視野を広げることができました。

これ誰のトマト?東京産のトマトを食べ比べ![農家と食べようin東京農村 イベント開催レポート]

東京農業の発信施設「東京農村」(赤坂見附)にて、6月16日に一般の方を対象にしたイベントである、

「これ、だれのトマト?東京トマト食べ比べ!5軒のトマト大集合!」~農家と食べようin東京農村~が開催されました。


 トマトを食べることが大好きな方がトマトの食べ比べを通して、「どんな品種やどんな工夫だと、どんな味になるのか?」をじっくりと感じていただき、

さらに東京・府中市で、美味しいトマト作りに励む新進気鋭の農家・小勝正太郎さんをお招きして、トマトの栽培についてお話を聞き、トマトに対する理解をさらに深める時間となりました。


トマトの食べ比べでは、東京でトマトを生産している5名のトマト(桃太郎、桃太郎プレミアム、麗夏、りんか409、サンロード)を使用させていだだき、品種や栽培方法によってどのような味の変化があるのかを楽しんでいただきました。

参加者の皆さんはトマトを日頃からたくさん食べていますが、それでも味の違いを判断するのは難しく、美味しいと言いながらも首を傾げながら食べている光景はとても印象的でした。


その後は小勝さんにトマト栽培についてお話をしていただきました。

小勝さんの栽培するトマトの美味しさの秘訣、トマト栽培の技術的なハードルや、農薬と光合成の工夫についてお話をしていただき、その中でも光合成の研究と体にやさしい農薬の紹介が印象に残りました。

ハウスには光合成を効率よく行うための環境制御装置がついており、湿度が下がると小勝さんの所持している携帯に警報メールが入る仕組みになっているそうです。

また、農薬においても食用ヤシ油や、納豆菌の仲間など、人間が食べれる材料で作られているものを使用しており、一概に農薬は悪であるという考えではなく、工夫しながら農薬と上手く付き合っていくという考えにとても感心しました。



最後は、旬の素材が自慢のイタリアンバル『東京野菜キッチン SCOP』の星野允人さんが東京都産のトマトを使用した料理を囲みながら、小勝さんと交流を深める座談会を行いました。農家さんと消費者である参加者の方々が実際に交流を深める機会はあまりないため、とても貴重な時間となりました。


東京産のトマトを実際に生産している農家さんの前で食べ比べすること、栽培方法を農家さん自身から説明していただくこと、そしてその農家さんと実際にお話をしながら料理を食べること、このイベントの全てが新しく、とても貴重な時間になりました。

今回の反省も踏まえて、是非第二回も開催させていただきたいと思っております。

協力していただいた生産者の方々、そして参加していただいた皆様、誠にありがとうございました。

エマリコくにたちインターン生 秋草 楠

オーガニックシティのこれから[東京農サロン・スペシャル開催レポート]

このたび、東京農村が4周年を迎えました。それを記念し6月15日に開催されたのが、東京農サロンスペシャル(次代の農と食をつくる会共催)。 “東京をオーガニックシティに?緑の食料システム戦略、初めの一歩”をテーマに、「次代の農と食をつくる会」から事務局長の間宮俊賢さんと代表理事の千葉康伸さんをお招きし、みどりの食料システム戦略や有機農業についてお話をしていただきました。

 

 



(左:間宮さん 右:千葉さん)

 

 

 

次代の農と食をつくる会って?

 多種多様なバックグラウンドを持ったメンバーから結成され、多様な生命や暮らしのあり方を認め、尊重し合う社会の基盤となる「次代の農と食」の新たな価値を創造・実現するために、様々な事業を行っているそうです。

 

代表理事の千葉さんは異色な経歴の持ち主。30歳で脱サラ後、の有機農業研修を経て、2010年に神奈川県愛川町で新規就農をスタート。今では有機J A Sも取得し、研修生6名と共に年間50種類の野菜を栽培されています。

 

 

 

みどりの食料システム戦略って?

みどりの食料システム戦略では、農林水産業全体の生産力を持続可能性と矛盾することなく高めていくことを目標としており、10年ごとに達成すべき目標が設定されています。そして、最終的に「2050年までに目指す姿」が具体的に示されており、30年後の農業の方向性を見据えた戦略となっています。

その中の取り組みの一つとして挙げられているのが、有機農業なのです。市町村での有機農業への取り組みを推進していたり、中間目標として、2030年までに化学肥料を2割減らすことを掲げています。

 

 

 

サステナブルな社会と有機農業の提案

 さて、みどりの食料システム戦略で挙げられていると言っても、有機農業をすること自体が大切なのでしょうか。そうではないと千葉さんは言います。農業や農法には色々な種類があり、それぞれに提唱者がいて、各農家で使える資源も異なります。だからこそ、農法の否定により農家さんを分断するのではなく、SDGsを意識した新たな価値を見出すことが大切なのだそうです。ニーズは異なるけれど、一番は消費者さんに“美味しい”と“旬”を届けるということ。あくまでもその手段としての有機農業。千葉さんの熱い言葉に、農サロンの参加者の皆さんは大きく頷いていました。

 

有機農業ってどうやってやるの?

 千葉さんは主に二つの有機栽農業において二つの工夫をしているそうです。

第一に土づくり。土づくりは化学性・物理性・生物性の化学だそう。光のエネルギーの循環に重きを置いて、茅をチップにしたり、籾殻・雑草・緑肥・地域資源などを土に還元したりしているそうです。まさにサステナブルな農法です。

 

第二に資材を用いての除草。防草シートを用いることで、草取りをする手間も減るのだそうです。また畑の通路が空いていれば麦を敷くこともあるそうです。

 

最後に有機農業をやる上では、植物生理を理解し土に合った作物を作ることや、時期にあった資材や作物を作ることが大事だと力強く話しておられました。

 

 

 

今回はサステナブルな社会に向かう手段としての有機農業について、生産者目線でお話いただきました。

 

 またこの先の未来に豊かな環境を残すために、消費者としては何ができるかを改めて考え直すきっかけになりました。

Written by エマリコくにたちインターンT

さまざまなことに挑戦! 知られざる武蔵村山農業のこれから[東京農サロン ネオ開催レポート]

奇数月に開催している東京農サロン・ネオ。今回は5月18日に開催され、今回は「武蔵村山市、多摩開墾56ヘクタール! 市街化調整区域農業のこれから」というテーマのもと、武蔵村山市で小松菜の周年栽培を中心に年間50品目以上を栽培している荒幡 善政さんと、武蔵村山市農業委員であり、援農ボランティアやNPOによる子どもカフェ事業をとおして市内の農業と地域をつなぐ活動に取り組んでいる安彦 祥子さんに登壇していただき、武蔵村山市の知られざる魅力について深掘りしてきました!


東京都の多摩地域北部に位置しており、狭山丘陵を挟んで埼玉県と接している武蔵村山市。東京都で唯一鉄道が通っていない市だそうです。


多摩開墾ってなに?


多摩開墾とは武蔵村山市南西部に位置している、1900年初期に開墾された、袋小路状の広大な敷地です。

多摩開墾内は基本的に利用者しか入らないため、荒幡さんは多摩開墾内に入ってくる車が利用者の車なのか、それとも一般の車が迷い込んでしまったのか区別ができるようになったそうです。

多摩開墾内は土地の所有者さん一人一人の努力により、素敵な景観が保たれているそうです。とても素敵な場所だと荒幡さんは自信を持って仰っていたので、機会がある方はぜひ足を運んでみてください!



安彦さんは10年ほど前に武蔵村山市に引っ越し、安彦さんの姉が立ち上げたコミュニティの地産地消イベントが農業と深く関わるきっかけになったそうです。

その後、荒幡さんのもとであらはたやさい学校のスタッフとして働くことになり、現在では、農業生産力の発展及び農業経営の合理化を図り、農業者の地位向上に寄与することを目的とする武蔵村山農業委員会に所属しています。


荒幡さんは学生時代、親が畜産業を営んでいたことから、畜産学校に入学したものの、突然父親から、畜産業を辞めると言われ、卒業後に有機省農薬栽培の勉強を始めたそうです。


生徒が野菜のあらはたやさい学校


あらはたやさい学校は、種まきを入学、出荷納品は卒業、移植はクラス替えなど、野菜の成長を学校生活と照らし合わせ、「働いている私たち、そして集う人たちが、野菜を通していろいろなことを学んでいけたら」という荒幡さんの願いが込められた農園の名前となっていて、実際の学校ではありません。

 

あらはたやさい学校では現在、小松菜の周年栽培をメインに約50品目以上の野菜が育てられており、これからもさまざまな野菜に挑戦していきたいと話しておられました。

また、有機の小松菜の周年栽培は、野菜の病気や害虫の観点から非常に難しいと言われています。しかし荒幡さんは、ビニールハウスのビニールに工夫を施し、太陽光と湿気を使って害虫を増やさない栽培方法を行い、農薬を使わなくても小松菜の周年栽培を可能にしています。

また、「むれやまだし肥」という肥料を作っており、地元のうどん屋さんから出るダシガラと、ビールの麦芽かすを主成分としています。

荒幡さんはこれからもいろいろなことにチャレンジをしていきたいと力強く話していました。


今回も私の知らない東京の農業の世界を知ることができました。

私も多摩開墾に足を運んでみたいと思います!

東京の農地を守る!”一歩先行くJA”の奮闘[東京農サロン ゼミ第4回開催レポート]

偶数月に開催されている東京農サロン・ゼミ。今回は4月20日に開催され、”都市農地の防衛最前線。一歩先行くJAの奮闘”をテーマに、世田谷目黒農業協同組合 資産サポート部 資産相談課の坂本康介にお話をお伺いし、これからの都市農地の未来について参加者の熱い議論が繰り広げられました。


坂本さんは元々広島信用金庫に勤めておりましたがその当時、世田谷目黒農協に勤めていた坂本さんの友人の結婚式に参加した際、他にも参加していた世田谷目黒農協の役職員さん同士の距離の近さや、アットホームな雰囲気に他との金融機関との違いを感じ、退職後、世田谷目黒農協へ入組しました。



世田谷目黒農協って何をしているの?


農地の減少を防ぎ、農業を安心して行うことのできる環境づくりをすることであることを1番の目的として、それに基づくさまざまな事業を世田谷目黒農協は行い、事業の黒字化を目指しています。

この明確な目的を持っている農協は実はあまり多くありません。また、農地の減少を防ぐことが、世田谷目黒農協の1番の目的であることを社員全員がすぐに答えられるようになっていると坂本さんは話していました。


また、世田谷目黒農協の組合員である農家さんは、職員に対して営農についての相談はあまり多くなく、税金や相続についての相談が多かったため、資産サポート部を作り、現在では税金や相続の問題について詳しい専門家と組合員を繋ぐ役割をしています。 


その他にも農地を守る事例として、宅地を農地への逆転用を行っています。生産緑地に転用する例は、多くはないものの、1年に2〜3件実績としてあり、これを数年間継続して行っているそうです。

さらに、世田谷目黒農協自ら体験農園の畑を作り、その運営も職員が行っているそうです。体験農園は民間の方でも運営をしている例がありますが、農協が率先してその事業を行うことにより、農地を手放さない例を作ることも目的としています。




組織全員で作り上げるセタメ

農業協同組合は英語表記の頭文字を取って”JA”と呼ばれることが多く、この呼び方ならみなさんも聞いたことがあると思います。

この呼び方は、横文字の企業名にすることが流行りであった平成初期に、農家だけではなく、みなさんといっしょに地域のくらしづくりをしていくために、親しみやすく覚えやすい名前にしようという思いがきっかけで”JA”という呼び方が生まれたそうです。

しかし坂本さんは、「本来農協というものは組合員に頼りにしてもらうものであり、我々は農業協同組合であるという精神のもと、事業を展開しています。」と話しており、JA世田谷目黒ではなく、世田谷目黒農協という意識で働いています。


“一歩先行くJA”と呼ばれている理由として、世田谷目黒農協が農地を守るためにさまざまな事業をおこなっていることが1番に挙げられますが、今回坂本さんの付き添いという形で、世田谷目黒農業協同組合 代表理事理事長である上保 貴彦さんが参加していただき、坂本さんのサポートを行っていました。このように、職員の近くに役員や理事長がいることによって、会話の中で職員一人一人が成長できる環境づくりができていることも、他の農協にはない素晴らしい点だと思いました。






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